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にない茶屋



にない茶屋とは

風炉、釜、茶道具を天びん棒で担い、縁日や行楽地の人々の集まる所へ行って茶を売る道具。室町時代になると、飲茶の習俗の普及に伴い、寺社の門前などに一服一銭という安価な茶売りが登場し、それに続いて棒振り(ぼてふり)と称する担い茶屋が現れた。その姿は「七十一番職人尽歌合」の煎じ物売りや、「高雄観楓図」に描かれており、狂言の「せんじもの」には、抹茶ではないが、煎じ物を売る担い茶屋が現れる。「高雄観楓図」の担い茶屋は、茶筅を振っているので抹茶の担い茶屋のようにも思えるが、煎じ茶の場合もボテボテ茶のように茶筅を用いる例があり、十六世紀の担い茶屋が煎じ物・抹茶のいずれを売っていたか断じがたい。慶長四年(1599)三月に古田織部の一行が吉野で花見の宴を開いた時、「利休亡魂」と額を打った担い茶屋が持ち出された(「茶道四祖伝書」)。これは抹茶の担い茶屋であったろう。江戸時代にも担い茶屋は行われ、京都では禁裏に出仕する桧垣茶屋という担い茶屋があって、今日も、その道具が伝承されている。淡々斎千宗室によって考案された御園棚という立礼(りゅうれい)に用いる棚は、この担い茶屋から着想されたという。「熊倉功夫氏」 角川茶道大事典より

茶道成立以前の室町時代の呈茶を復活

四季折々に各地で催される茶会は、ごく限られた人のためだけのものになりがちで、普段から茶道に親しみのない方にとりましては、「作法」が気がかりで近づきがたいもののようです。茶道の伝統的な雰囲気を保ちつつ気軽に抹茶を飲んでいただける方法として、狂言の小道具に伝えられる形をリメイクして「にない茶屋」を復活致しました。